Sweet Rain 死神の精度 〜不思議な雰囲気につつまれる映画

d690dcee.jpg 1ヵ月ほど前に試写会で「Sweet Rain 死神の精度」を見た。  
 帰りに書店に寄よったら、

 伊坂幸太郎氏の原作「死神の精度」
http://01.futako.info/a/seido.html
が、ベストセラーランキングの1位になっていたので驚いた。

 映画の公開直前とか、直後に1位になるのならわかるが、
映画公開のかなり前から、原作がかなりの勢いで売れていたのには
驚いた。

 ちなみに、本日、書店で確認したら、8位だった。


 「Sweet Rain 死神の精度」は、不思議な映画である。
 一言で説明するのが難しい。
 
 ストーリー紹介を読むと、
「7日間でその人間の生死を見極める“死神”とその対象者たちの
悲喜こもごもをさわやかに描く。」
と書かれているが、さっぱりイメージできない。

 ジャンルにしても、恋愛でも、コメディでも、SFでもない。
 何といったらいいのだろうか? ファンタジーだろうか?
 「見たことのない映画」というのが、一番いい表現かもしれない。

 死神を演じるのが金城武。彼の不思議な雰囲気が、
存在するはずもない死神に、奇妙なリアリティを与えている。

 3部のオムニバス的な構成になっているが、
最後に一見バラバラの話が、一つに結びついていく
ところにカタルシスがある。

 かなり淡々と映画は進んでいくが、最後まで見ると
爽やかな感動につつまれるだろう。

 万人受けする映画ではないだろうが、映画を見た後の
奇妙な後味が楽しい。

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ジャンパー 〜メイスがアナキンに復讐か!?

caf942cc.jpg 人間は「時間」と「空間」に束縛されている。
 
 時間を超越する話。タイムスリップ、タイムマシンものというのは、
映画、小説の世界では、定番というか、数えられないほどの作品が
作られ、傑作も数多くある。

 一方で、「空間」を超越して移動するというのは、「スター・トレック」
シリーズにおける「転送」とか「ワープ」。
 あるいは、「ザ・フライ」のような転送装置の開発の話とか、
劇団四季のミュージカルになった「壁抜け男」とかいろいろある。

 しかしながら、「テレポーテション」によって、パリ、エジプト、
ニューヨーク、さらにはエベレストの頂上など、どこにでも
瞬間的に移動できて、その移動する回数などにも全く制限がない。

 唯一制限があるとすれば、「移動する先の場所が明確にイメージできる」
というだけで、それも移動先の写真があればテレポートできるわけだから、
実質、無制限に近い。
 この「ジャンパー」のように、ほぼ無制限で世界中をテレポート
しまくる話というのは、非常に珍しいだろう。

 この映画「ジャンパー」の面白さは、ローマ、ニューヨーク、パリ、東京と
世界中の都市を瞬間移動して構成されるダイナミックな映像とストーリー
ということになる。

 一方で、「ジャンパー」のつまらなさは、どこにでもほとんど無制限で
テレポートできるという自由度の多さにある。

 「ジャンパー」を見た人からは、「あまりにもテレポートしすぎじゃないか」
という突っ込みが入るに違いない。

 自分だけが逃げるのは実に簡単。そこで、主人公の「恋人を守る」
という「足かせ」によって、ようやく物語はおもしろくなる。

 主人公のデヴィッドを演じるのが、スター・ウォーズのアナキン役の
ヘイデン・クリステンセン。そして、ジャンパーを抹殺しようとする組織
パラディンのローランドを演じるのがスター・ウォーズで
ジェダイ・マスター、メイス・ウィンドウを演じたサミュエル・L・ジャクソン。
 
 メイス・ウィンドウは、アナキンのせいで死んだようなものだから、
その恨みをこの「ジャンパー」で晴らそうというのか(笑)。
 いずれにせよ、明らかに、スター・ウォーズを意識したキャスティングである。

 このパラディン。犯罪行為を行うジャンパーを捕まえて殺す
というのは大義名分がありそうだが、ジャンパーの家族や恋人に
危害を加えるのはどうみてもやり過ぎ。

 というか、犯罪行為を行うジャンパーは「悪役」でパラディンは「いい者」
であるはずが、それが逆転していて、本当は「いい者」であるはずのパラディン
が悪役になっているという価値観の逆転がおもしろい。

 そして、サミュエル・L・ジャクソンの悪役ぶりがはまっている。
 彼は最近では刑事役が多いが、典型的な悪役顔で悪役を演じた方が
やっぱり様になる。

 ヘイデン演じるデヴィッドは、過去のジャンバーと比べ卓越したジャンプ
能力を持っていて、いわばジャンパーの救世主的存在。
 この辺の設定も、スター・ウォーズのアナキンの設定とソックリ。
 はたして、デヴィッドはパラティンとジャンパーに調和をもたらすのか?

 3部作の第1話ということで、「ライラの冒険」のように中途半端で
終わるのはしょうがないといえばしょうがないが、
このラストはやや物足りない。


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マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋

63f307f4.jpg まずは、これをご覧いただきたい。

◆日本国内週末興行収入ランキング (2月16日〜17日)◆

1位 L change the WorLd
2位 チーム・バチスタの栄光
3位 エリザベス/ゴールデン・エイジ
4位 母べえ
5位 陰日向に咲く
6位 マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋 
7位 アース
8位 アメリカン・ギャングスター
9位 スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師
10位 リアル鬼ごっこ

 2〜5位以外の作品は全て見たが、
ランキングというのは、非常におもしろいなあ、
と改めて思う。
 
 ランキングは、人間の集団心理を表す。

 日本人は、「他人が何をしているのか」をとても気にするので
ランキングが好きだ。
 そして、ランキングによって行動が大きく左右される。

 「みんなが見ているから見よう」という心理が働く。

 アメリカ人は違う。
 アメリカ人は、「自分がおもしろそうだと思う」から見に行く。

 ランキングは参考データとして有意義に利用すべきだと思うが、
あくまで「参考」にとどめるべきだ。

 なぜなら、「ランキング上位の作品がおもしろい」という保障など
どこにもないから・・・。

 このランキングを見て思ったのは、
「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋」が6位というのは、
非常に残念だということだ。

 もう少し上位でもいいだろう。
 というか、上位に行って欲しい。
 
 すばらしい作品だから。

 今年見た映画の中では、わたし的には、
「テラビシアにかける橋」の次によかった。
 今のところ、ベスト2である。


 「大人になっても夢を忘れないで」

 「大人になっても、子供のころの気持ちや心を忘れないで」

 
 「テラビシアにかける橋」も似たテーマであったが、
「マゴリアムおじさん」もまたそのような話で、
テーマとしてはありきたりというか、凡庸なのだが、
このありきたりの使いふるされたテーマが
実にリアルに心に響いてくる。

 言いかえれば、「ありきたりのテーマが」が
「普遍的なテーマ」にまで昇華されている、
ということだろう。

 かつて天才ピアノ少女と呼ばれたが、大人になって思うように作曲が
できずに自信をなくすモリー(ナタリー・ポートマン)。
 そんな彼女が、魔法のおもちゃ屋の閉店騒動の中で
自信を取り戻していく姿が描かれる。
 
 同時に、友達ができない。人と接することが大の苦手な
少年エリックの自立の物語が重ねられて描かれていく。

 しっかりとしたドラマが、ファンタジックな映像と魅力的な音楽とともに
描かれている。

 純粋に見ていて楽しいし、感動する。
 これが「映画」というものだろう。

 テーマもドラマも映像も音楽も全て素晴らしいが、一番すごいのは、
マゴリアムおじさん演じるダスティン・ホフマンの存在感と演技だろう。

 さすがは大御所というか、彼なしではこの映画は成功し得なかっただろうし、
別な俳優じゃあダメだっただろう、と思わせる凄味がある。

 ひとつ懸念されることは、
もしあなたが、「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋」を見ても、
ひょっとすると私ほど感動しないかもしれない。

 もしそうだとするなら、その理由は「私のダスティン・ホフマンに対する
思い入れの強さ」が原因だろう。

 このメルマガでも既に何度か書いているように、
ウディ・アレン、クリント・イーストウッド、ダスティン・ホフマン。
 彼ら70年代を代表する俳優(監督)と、私は同世代的に育っている。

 小学生、中学生のときにテレビの映画劇場で必死に見た作品が、
彼らの作品であって、私の映画人生の原点が、70年代の作品と
その俳優、監督たちということになる。

 これは私に限ったことではない。

 ダスティン・ホフマンといえば、シカゴにいる時に、シカゴ映画祭の
ゲストとして招かれたホフマンを、1メートルの距離から見ることに
成功したが、その時のアメリカ人の熱狂ぶり、歓迎ぶりのすごさには
驚かされた。

 40〜50歳前半くらいの人たち(アメリカ人)にとって
ダスティン・ホフマンというのは、
「一緒に育った俳優」というか、「卒業」(1967年)以来、
一緒に成長してきた仲間的な意識を共有しているのだろう。
 
「マゴリアムおじさん」では、ホフマン演じるマゴリアムおじさんは、
200年以上生きていて、このおもちゃ屋も彼の長い歴史とともに
存在している、という設定であるが、その「歴史」というものが、
ダスティン・ホフマンの俳優の歴史と見事にシンクロしてくる。

 そういう「共感」というか「共通体験」が存在していることを
前提として、マゴリアムおじさんがオモチャ屋を引退するという
話が出てくるわけだが、それだけでホフマンのファンとしては、
思わず涙が流れてくるのだ。

 「マゴリアムおじさん」は、第一に子供たちが見てとても
楽しい映画として作られているのだが、その子供たちを劇場に
連れてくる親たちが、ホフマンへの共感と言う点で、
子供以上に楽しめる・・・というか感動できるように作られている
ところが「マゴリアムおじさん」のすごさではなかろうか。

 親子で、あるいは恋人同士で。
 心あたたまる「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋」を
是非見ていただきたい。

樺沢の評価  ★★★★☆


追伸1 ヘンリー役のジェイソン・ベイトマンが、
川平慈英にソックリだと思ったのは私だけ?

追伸2 シカゴで見た生ダスティン・ホフマン。
 彼のスピーチも生で聞いたが、実に飄々として、司会者の質問を
ちぐはぐな回答で受け流すところなど、この「マゴリアムおじさん」
そのもの、という感じだった。
 「マゴリアムおじさん」は、彼の演技というよりも、
「地のダスティン・ホフマン」そのものだと感じた。

アース 〜生命の惑星の生の姿に感動

58d8a471.jpg 太陽系第3惑星、地球。

 この生物にあふれた実に美しい星。
 そして、そこに住む生物たちの生々しい生きざまを
克明に描き出していく「地球のポートレート」ともいうべき
ドキュメンタリー作品。

 北極から南極へと向かう旅の中で、ホッキョクグマの親子、
砂漠を大移動するアフリカゾウの群れ、ザトウクジラなど数々の
生物の営みを圧倒的な迫力の映像で映し出していく。

 「ディープ・ブルー」のスタッフが集結し、超ハイスピードカメラなどの
最新機器を駆使しながら、5年もの長きにわたって“奇跡の瞬間”を
追い続けただけあって、その映像のグレードは素晴らしい。

 この作品のいいところは、単に可愛らしい動物をうつし出すのではなく、
「弱肉強食」という自然界の厳しさをしっかりと描いていることである。

 自然という厳しい世界で、必死に生きようとする動物たちのドラマが
描かれるわけだ。

 こうした弱肉強食のドラマは、最近の話ではなく、何十億年も前から
続いていることで、「地球温暖化」と結びつけるのには、やや強引な
気もするが、エコロジーが叫ばれるこういう時代だからこそ、
「自然」を正しく見つめなおすということは、
大きな意味をもつもつだろう。

 ともっともらしいことを書いてみたが、この映画を見れば、
そんなことは誰でも理解できる話で、「映像の力」のすごさを
感じさせるという点で、「映画」としてもすぐれている
作品といえる。

 私が訪れた時は、子供の入場料500円というキャンペーンが
行われていたが、この映画を一番見ていただきたいのは、
小学生、中学生の子供たちだろう。

 この映画を見て、感じたことを話し合ったり、あるいは感想文を
書いたりすることで、いろいろなことを学習できるに違いない。

 そんなわけで親子で見に行く映画としても、
非常に良い映画だと思う。

 ただ、予告編で良いシーンを見せすぎてしまっているのが、ちょっと残念。

団塊ボーイズ  〜「自分のために生きよう」団塊世代への賛歌

250a3a20.jpg 2007年3月に全米で公開されるや否や、
1億ドル突破の大ヒットを記録し、
2007年の興行収入ランキングにおいては、「ダイハード 4.0」や
「オーシャンズ13」といった有名作品を押しのけ、
堂々とトップ10入りを果たした大ヒット作が、
この「団塊ボーイズ」である。


 「団塊ボーイズ」、悪くない邦題である。
 
 原題は、「Wild Hogs」。
 直訳すれば、「野豚たち」。
 何のことか、サッパリわからない。

 「Wild Hogs」は、主人公4人のバイクのりチーム名、
グループ名なのだが、この原題には別な意味が隠されている。

 "go hog wild"で、「夢中になる」という意味がある。
 
 したがって、「Wild Hogs」には
「(バイクに)夢中になった男たち」「熱中する男たち」
といった意味が込められているだろう。


 アメリカの閑静な住宅街に暮らす、ごく普通の中年男たち4人組。
 彼らの人生はそれほど悪くはないもののだが、
4者4様のストレスを抱えていた。

 彼らのストレス発散は、週末に愛車のハーレーにまたがって、
ツーリングを楽しむこと。

 そんな煮詰まった4人の中年男性が、一念発起しアメリカ横断
の旅に出かける。


 一昨日のメルマガで、
 
「あなたは自分のために生きていますか?」
という話をしました。

 「団塊ボーイズ」は、まさに同じテーマで、

「あなたは自分のために生きていますか?」
「あなたは、何か夢中になることがありますか?」

 そんな問いかけを、我々に投げかけてくる。


 先日、「週刊ポスト」の映画評を読んでいたら、
この「団塊ボーイズ」の評価が載っていて、
やたら評価が低くて残念だった。

 アメリカでは、この作品は大ヒットしたが、残念ながら、
日本ではヒットしないかもしれない。


 この映画には、アメリカ人の大好きなものがテンコ盛りにされている。

 そもそも、この作品は「馬」を「バイク」に置き換えただけの
完全な「西部劇」であるし、当然、お約束の「勧善懲悪」の
物語である。


 「いつかは、車やバイクでアメリカ横断したい」というのも、
ほとんどのアメリカ人が持っている「夢」であるし、

仕事や家族のしがらみをおいておいて、
その「夢」を実現してしまう中年男たちは、
まさにアメリカン・ヒーローである。

 自分のやりたいことをやろうよ。

 でも、仕事とか、家族とか、いろいろなことを考えると、
「自分のやりたいこと」など、そう簡単に実行できない・・・。


 そんなジレンマをふまえて、この映画を見て、
初めて「カタルシス」が生まれる。

 「やっぱり、自分のやりたいことは、やっておかないと後悔するな・・・」


 一方で、全く反対のリアクションもあるだろう。

 「仕事や家族もホッタラかして、何週間もバイクで旅行なんかできるか!!
 全くリアリティのない荒唐無稽な話だ」

 こう言ってしまえまば、この映画には何らかの価値も見出すことは
不可能になる。


 「自分」以上に、「仕事」や「家族」を重要視する日本人にとってみれば、
この映画のシュチエーションは、全くリアリティかもしれない。

 「自分を大切にする」ことの大切さを、日本人よりは理解している
アメリカ人にとっては、4人の主人公たちは、非常に身近で、
等身大の存在に感じられたことだろう。

 そして、「自分のために生きる」という考え方が浸透している
アメリカ人にとっては、
「ひょっとしてありえるかも」
「自分も、こんなことしたいよ」
という、日常との連続性の中で、
ありありとしたリアリティを感じるに違いない。


 そんなわけで、仕事のため、家族のために、自己犠牲的に働いてきた
日本の「団塊の世代」に「もっと、自分のために生きようよ」という
問いかけをしているかのような邦題「団塊ボーイズ」は、
良いタイトルだと思うが、その問いかけが日本の観客にどこまで
届くのか・・・。
 
 主人公の4人の中年男を演じるのが、
ジョン・トラボルタ、ウィリアム・H・メイシー、ティム・アレン、
マーティン・ローレンスといった、豪華な俳優陣。

 いずれも、一人で主役を張れる(張っている)大物俳優が4人も集まっている。

 この豪華俳優陣の共演を見られるだけで、映画ファンなら
楽しい時間を過ごせるはずだ。


 とはいっても、この笑いのセンスは、日本人にはつらいかもしれない。
 私がシカゴで見た時に、もっとも受けていたのは、
「ホモねた」のシーンだ。
 ひんなシーンは、日本では、絶対受けないだろうなあ・・・。

 アメリカ人が好きな映画ってどんな映画?
 その答えにピタリと当てはまるのが、この「団塊ボーイズ」である。

無料レポート「インランド・エンパイアの解読」

精神科医樺沢紫苑が、「難解」と言われるデヴィッド・リンチ監督の
「インランド・エンパイア」を解読しました。

ウサギ人間って何? 
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ベオウルフの心理学〜アンジーが過剰な色気で誘惑する心理学的理由とは?

da8a0f02.jpg■「ベオウルフ」の納得いかない謎

アンジェリーナ・ジョリー主演の映画「ベオウルフ/呪われし勇者」は、ご覧になりましたか?
「ベオウルフ」は、英国文学最古の英雄叙事詩で、「ロード・オブ・ザ・リング」の原作「指輪物語」にも多大な影響を与えたと言われます。
「ベオウルフ」は、基本的には非常にシンブルな話ですが、おそらく
いくつかの疑問が残ったのではないでしょうか。

つまり、なぜ、モンスターはある日突然、父親を襲いに来るのか? 
ということです。

映画では、「金色の輝く杯」。
これが、アンジェリーナ・ジョリー演じる妖艶なモンスター(特に、名前はついていないので、ここでは以下「アンジー・モンスター」と呼びます)の手元にある時は、子供の怪物はおとなしくしていますが、「金色の輝く杯」が手元からなくなった瞬間、それを取り戻しに子供の怪物が街を襲撃し始めます。

物語の鍵は、「金色の輝く杯」。
暗闇の中でもランタンのように光を発する杯は、聖なる魔力を持った「聖杯」ということなのでしょう。
聖なる宝ものを奪いにモンスターが来る。
神話的なストーリーですから、その答えで十分説明されているかのように思いますが、なぜアンジー・モンスターはそこまで「聖杯」にこだわるのでしょうか?

■ 繰り返される描写 〜「子供の父殺し」

なぜ、モンスターはある日突然、父親を襲いに来るのか?
若き頃のフロースガ―ルは、アンジー・モンスターと交わってしまいます。
そして、二人の子供が巨人グレンデルです。
成長したグレンデルは、フロースガ―ル王(アンソニー・ホプキンス)が収める街を襲撃します。

グレンデルとアンジー・モンスターを退治するために立ち上がったのが勇者ベオウルフです。ベオウルフはグレンデルを退治しますが、母親のアンジー・モンスターの誘惑に負けて、交わりを持ってしまいます。

それから、何十年か後。ベオウルフの子供である火を吐くドラゴンが、ベオウルフ王が収める街を襲いはじめます。

「子供(モンスター)が、父親を襲う」描写が、二度繰り返されます。
「ベオウルフ」の物語の骨子です。「ベオウルフ」は「モンスターと化した子供が父親を襲う話」と要約してもいいでしょう。

若い頃犯した過ちのツケを、年老いてから支払わされる。
そんな教訓を抽出することも可能ですが、精神科医である私は、
「子供が父親を襲いに来る話」の心理学的な意味に興味がいきます。

「子供が父親を襲いに来る話」。
言いかえると、「子供が父親を殺しに来る話」です。

そう、「父親殺し」といえば、多くの神話のモチーフとなり、さらに最近の映画のモチーフにもなっています。
「エディプス・コンプレックス」です。

「エディプス・コンプレックス」とは、母親を確保しようと強い感情を抱き、父親に対して強い対抗心を抱く心理状態のことです。子供が母親を奪うために、父親と格闘する心理です。

ギリシア悲劇の一つ『オイディプス(エディプス)』(父王を殺し自分の母親と結婚したという物語)になぞらえ、エディプス・コンプレックスと呼ばれます。

思春期の男子は、親の言うことに何かと反抗します。特に、父親の言うことには、何でも反対してしまいます。このように、父親と葛藤し、対決し、父親を乗り越えていくことが、「成長」の過程では不可欠となります。

「父親を殺す」というのは、あくまでも「象徴」的な意味ですが、神話や古典の中では、実際に剣を交えて戦い、時として殺してしまうこともあります。

一番分かりやすい例は、やはり「スター・ウォーズ」でしょう。悪の権化と思われたダース・ヴェイダーは、実はルーク・スカイウォーカーの父親でした。そして、ルークは父親と決着をつけるために、ライトセイバーで一戦を交えます。直接手をかけたわけではありませんが、ダース・ヴェイダー(父アナキン・スカイウォーカー)は死に、一連の出来事を通じて、ルークは大人へと成長していきます。

最近の例でいえば、「ゲド戦記」もそうです。
冒頭でいきなりアレンが父親の国王を殺します。
私は、映画の物語上の「父親殺し」に象徴される、宮崎吾朗監督の「父宮崎駿殺し」を、興味深く見てしまいます。

いつまでも、父親の言うがままになっていては、成長などはありえない。
父親を殺し、その呪縛から解き放たれることが成長です。
その意味で、父宮崎駿の助けを全く借りず、父親を心理的な意味で殺し、「ゲド戦記」を完成させた宮崎吾朗監督は、「一人前の映画監督」として独り立ちしたといっていいでしょう。

子供というのは、「父親殺し」を経て、大人へと成長するのです。
そのためには、親への「反抗」というものは、不可欠です。

 このエディプス・コンプレックスと「父親殺し」について知っていれば、「ベオウルフ」は俄然おもしろくなってきます。

 子供が父親を殺しに行く。これは、子供の成長のためには、「必然」の行為なのです。つまり、グレンデルがフロースガ―ル王を襲い、ドラゴンがベオウルフ王を襲う。まさに、心理学的な必然です。

■ 母の視点から見た「ベオウルフ」

「ベオウルフ」のラスト。子供を失ったアンジー・モンスターは、今度は、ベオウルフの側近だったウィグラーフを誘惑するところで映画は終わります。

おそらく、ウィグラーフも誘惑に負けてアンジー・モンスターと関係を持ち、何十年か先に、その子供のモンスターが襲撃してくるという無限連鎖を暗示しています。

これこそが、人間の生きる世界の象徴です。
子供は成長し、父親に戦いを挑む。
この繰り返しなのです。

「ベオウルフ」の恐ろしいところは、この女性の「執念」でしょうか。
母親であるアンジー・モンスターは決してあきらめません。
子供を父親に、何度もけしかけるのです。

ここに隠された心理学的意味も、またビミョーで興味深いものがあります。
例えば、仕事が忙しくあまり構ってくれない夫。そんな夫を持つ女性(母)が、子供の「お受験」に熱中します。自分にとっての関心は、「夫」の昇進、「夫」の将来ではなく、自分の子供の進学、就職であり、その「将来」なのです。

「お受験」のために、塾や家庭教師に何十万円も費やします。
家計は火の車で、夫は残業を余儀なくされ、憔悴していきます。
妻は、自分のことを構わなくなった夫の愛情を代償するかのように、さらに子供の「お受験」に入れ上げていく・・・という。
これぞ、現代版ベオウルフ。

映画「ベオウルフ」のグレンデルが、マザコンぽいのが笑えます。

英国文学最古の英雄叙事詩「ベオウルウ」。
しかし人間は、何も成長することなく、同じ営みを繰り返しています。
夫に対する復讐の無限連鎖です(笑)。

交わる前は、すごいお色気で、ベオウルフを誘惑する。
しかし、二度目にベオウルフと対面したとのアンジー・モンスターの態度は、とても冷たいものです。ほとんど他人です。
本当は、身体を交えた「夫」なわけですから、もう少し優しく接してくれてもよさそうなものです。
完全に、「夫」よりも「子供」命になっています。

これは、結婚する前は、とても優しくお色気攻勢を仕掛けるが、結婚して子供ができた途端に、別人のように態度を変えて、冷たくなる世の中の「奥様」たちを象徴しているようで、とても怖いですね・・・。
ちなみに、うちの家内は違いますので、念のため(爆)。

■ 聖杯の意味  〜男性の象徴「角」

「ベオウルフ」には、心理学的に象徴的な意味が隠され、現代に通じる教訓が秘められています。人間の本性。基本的な行動原理のようなものが、しっかりと描かれていることは、理解できたでしょう。
残された謎は、「聖杯」の謎です。

続きを読みたい方は、コチラ・・・・・



ベタなハリウッド映画はお好きですか?〜トランスフォーマー

9e120079.jpg マイケル・ベイ×スティーブン・スピルバーグ
  驚異の映像革命が、映画史を塗り替える!

 こんなキャッチで「トランスフォーマー」は紹介されているけれども、
このキャッチからは「トランスフォーマー」の本当の凄さは微塵も
伝わってこない。

 「驚異の映像革命」という言葉に、全くのウソ、偽りはないの
だが、映画の持つ迫力。映像から受けるインパクト。
 そうした「トランスフォーマー」のすごい衝撃を前に、
全てのキャッチコピーは陳腐化していく。

 「スター・ウォーズ」「ジュラシック・パーク」「マトリックス」。

 映画史を塗り替える映像革命は、何度かあったが、こうした
スゴイ映画と並べても全く遜色がないのが、「トランスフォーマー」である。

 とここまで書いて、「トランスフォーマー」のすごさをちっとも文章で
伝えられない自分の表現力のなさにイライラしてきた。

 テレビスポットもかなり流れているし、劇場でも予告編を見たが、
これらの断片的映像でも、不思議なことに「トランスフォーマー」の
魅力を十分の一も伝えていない。

 「トランスフォーマー」は、本物の映画だ。
 
 「ゲド戦記」でも書いたが、「映画」というのは、「映像」で表現する
というもの。
 その点で、「トランスフォーマー」は完全に映画であって、
家でDVDで見ても全くつまらないに違いない。
 
 「トランスフォーマー」の変身シーン。
 大スクリーンで見るのと、家のテレビで見るのとは、
全く意味合いが違ってくる。

 "「トランスフォーマー」は、本物のの映画だ" と言ったが、

 正確には「本物のハリウッド映画だ」というべきか。
 
 いや、それとも「ベタなハリウッド映画」というべきか。

 映画を観る前にアメリカの評判などを聞いていたが、アメリカでは一般観客
の評価は非常に高いのに、映画批評家はけっこう辛口だったりしている。
 このギャップは、いったい何なのか?
 
 そう思って映画を見たが、それは「トランスフォーマー」が、
「ベタなハリウッド映画」だからということに気づいた。

 「ベタなハリウッド映画」、言い換えると「エンターテイメント映画の
お手本のような映画」ということになる。

 それはすなわち、「マイケル・ベイらしい映画」ともいえるが、
過去のベイ作品「アルマゲドン」や「パール・ハーバー」のように
ヒューマニズムの押し付けがないところが、非常に良い。

 「自己犠牲」とかロボットと人間との友情とか、ヒューマニズムっぽい
テーマは用意されているのが、露骨なお涙ちょうだいになっていない。
 
 これでもか〜。感動しろ〜。みたいな押し付けがなくて、
非常に後味の良い映画に仕上がっている。


 さて今、「ベタなハリウッド映画」という言葉を使ったが、これは
樺沢的には「最高の賛辞」ということになる。
 
 「いかにもハリウッドらしい娯楽映画」ということで、私はこの手の
映画は大好きである。

 この映画を見て「おもしろくない」といわれれば、他にお勧めする
映画も見当たらない・・・という感じだ。

 とはいっても、「ベタなハリウッド映画」が嫌いな人もいるかもしれない。
 おそらく、アメリカの映画ファンの多くが「トランスフォーマー」を
楽しんでいるのは、「ベタなハリウッド映画」だから。

 そして、一部の映画批評家が厳しい評価をしているのも、
「ベタなハリウッド映画」だからという理由に他ならないだろう。


 私が「トランスフォーマー」を見て思ったのは、
「これって『ET』じゃん。」ということだ。

 青年とバンブルビー(善玉マシンの一つ)との出会い。
 直接の会話ではない、ひとひねりしたコミュニケーション。
 バンブルビーの救出劇。

 といったように、「ET」の宇宙人をトランスフォーマーのロボット、
バンブルビーに置き換えると、ほとんど「ET」になってしまう。

 それが良いとか悪いとかいうのではなく、一つだけ確かなことは、
「だからおもしろい」ということだ。

 スピルバーグは、「製作総指揮」としてクレジットされているが、
どちらかというと「発案者」の一人であって、「客寄せ用の名義貸し」で
あって映画の細部まではタッチしていないのかと思ったが、そうでも
なさそうだ。

 というか、これはスピルバーグが関与したというよりも、
マイケル・ベイがスピルバーグへのオマージュで彼の映画を取り入れたり
パロったりしているようにも思えるが、「スピルバーグ映画のエッセンスが
詰まった楽しい娯楽映画」という点で、非常にスピルバーグっぽい。

 他にも、「激突」とか、「アメリカン・グラフィティ」とか、
いろんな映画の影響(パロディ?)が入っていて、映画ファンは
めっちゃ楽しめるはず。

 あと一つ言い忘れていた。
 
「トランスフォーマー」は、最高水準のVFXを用いたアクション娯楽大作と
思っている人が多いし、映画会社もそういう売りで宣伝しているけども、
"「トランスフォーマー」はアクション映画ではない" という点は
強調しておこう。

 「トランスフォーマー」は、アクション映画でもあるのだけども、
青春映画でもあり、コメディ映画でもある。
 特に、笑いの要素が想像以上に多かったのには驚かされる。

 まあ「アクション」とか「コメディ」とかそういう枠にとらわれる
ことのない「本物の娯楽映画」なのである。

 例えば、「スター・ウォーズ」という映画をとっても、それは単なる
「SF映画」ではなく「青春映画」でもあり、お笑いの要素も随所に
盛り込まれていることに気づかされる。

 「トランスフォーマー」は、アクション映画ではない。

 はじめて車を買ってもらった高校生の男の子がいかに女の子をナンパするか。
 そう、「アメリカン・グラフィティ」と同じような話が物語の骨子に
なっている。
 そして、その青春映画的な部分が本当にしっかりと描かれている。

 「トランスフォーマー」の、最新VFX技術を駆使した映像は確かに
すごい。
 ただもっとスゴイのは、「トランスフォーマー」からVFXの映像的な
おもしろさを全て取り除いてしまったとしても、一つの娯楽映画として
完全に成立しているということである。

 ハリウッド娯楽映画の底力、ここに見たり!!

 評価は、文句なしの「★★★★★」。
 
 今年の夏休み映画。おもしろい作品がたくさんあるが、劇場で見ないと
損するのは「トランスフォーマー」である。


 樺沢の評価  ★★★★★

学生運動勃発!!〜ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

723ec4f4.jpg 「ハリー・ポッター」の新作をようやく見た。

 前半の30分、あまりのダークさに、「なんじゃこりゃあ〜〜」
と落ち込んだが、中盤から、俄然おもしろくなってきたので安心した。

 ダンブルドア団を作って、校長や魔法省に反発するあたりは、
ほとんど「学生運動」を彷彿させる(笑)。

 ハリーたちも学生運動をするくらいに成長したんだ(爆)。


 物語の中盤から、ストーリーがドンドン加速していく。

 回想シーンでは、ハリーの父親のエピソードも登場し、いままでは
謎の提示に終始していたのが、今回から謎の解決に向かって
大きく反転しはじめた感じだ。

 話はめっちゃダークだが、友情、協力といった「ハリー・ポッター」シリーズ
の根源ともいえるテーマがクローズ・アップされていき、ラストは感動的だ。

 「友情」のテーマのおかけで、ハーマイオニーとロンの描写も結構
あるのがうれしい。

 それにしても、この展開は「スター・ウォーズ エピソード3」と
そっくりではないか?

 特に、●●●●と●●●●の一騎打ちは、ヨーダ対パルパティーンの対決
そのものだったりする。
 でもまあ、その辺は、ご愛敬。

 欠点を言うなら、シリーズものの欠点そのものになってしまうが、
今まで、映画も本もハリポタは全く知らないというハリポタ初心者が見た場合、
「全くストーリーがわからない」という点だろう。

 まあシリーズものだからしょうがない、といえばそれまでだ。

 熱心な「ハリポタ」ファンほど楽しめる作品、といっていいのでは
ないだろうか。

 樺沢の評価  ★★★★

精神科医が斬る!! 朝青龍問題

20230fa5.jpg 朝青龍関の問題が、ワイドショーやマスコミで相当な話題になっています。

 朝青龍関が、「精神衰弱状態」とか「急性ストレス障害」とか、精神科の診断を受けていることもありますので、この問題について私なりに考えてみました。

 先場所で優勝した朝青龍関が、「疲労骨折」の診断書を相撲協会に提出し、夏の地方巡業を休もうとする一方で、モンゴルに帰国し、サッカーの試合に参加し診断書とかけ離れた行動を取ったことが大騒動となりました。

 日本に帰国し、マスコミからのバッシングが強まる中、朝青龍関が
精神的な不調を訴えたため、本田医師の診察の後、
「神経衰弱状態及び抑うつ状態」という診断がされました。

「神経衰弱状態及び抑うつ状態」。

 私は、ワイドショーを見ていましたが、この診断を聞いた時に
この本田医師は「精神科医ではないのではないか?」
とまず思いました。 

 もし本物の精神科医だとするなら、「全然ダメな精神科医だな」と
思いました。

 その理由は、「神経衰弱状態及び抑うつ状態」という診断が
ありえないからです。

 一年目の精神科医でも、こんな診断はしないでしょう。

 「抑うつ状態」であるなら「抑うつ状態」だけでいいわけで、
「神経衰弱状態」は不要です。

 「抑うつ状態」でありながら、「神経衰弱状態」というのが、意味
不明です。
 
 さらに、「神経衰弱状態」という診断名は、精神医学における正式な
診断病名ではありません。

 精神科の診断というのは、「DSM-VI」や「ICD-10」といった
世界標準の診断基準を使うのが普通で、「神経衰弱状態」というのは
そうした診断基準には含まれていません。
 (「急性ストレス障害」は、これら世界的な診断基準に沿った診断名)

 「精神衰弱状態」の意味は「精神的疲れています」という程度のこと
しか意味していなくて、一体どういう病像なのかが全くわからないのです。

 では精神科で「精神衰弱状態」という診断名は、全く使わないのか
というとそうではなく、診断書を書くときに、時々使われることがあります。

 診断書を会社に出す場合、「うつ病」とか「統合失調症」とか、
そのままスバリの病名を書いてしまうと、あとあと問題が起きる場合が
あります。

 日本は、精神病者に対する偏見が強烈な国ですから、会社に本当の病名が
知られてしまうだけで、患者さんは著しい不利益をこうむります。 
 それだけで実質上クビになりますから・・・。

 そうした事態が予想される場合は、「精神衰弱状態」という診断名で
はっきりとした病名を明かさないで、お茶を濁すということになります。

 今回の朝青龍関の場合は、「どういう精神状態なのか?」ということが
マスコミも多くの日本国民も注目していたわけですから、当然、
具体的な病名が診断されなければいけない状況です。
 
 そうでないと、誰も納得しないでしょう。
 そんな中で出てきた病名が「精神衰弱状態」です。

 常識ある精神科医であれば、「精神衰弱状態」という
わけのわからない診断名は絶対につけません。

 結局、本田医師は形成外科医であり、包茎手術が専門である、ということが
後日明らかにされましたが、「やっぱり」という感じです。

 本田医師は精神科指定医ということで、精神科の経験もあるのでしょうが、
「神経衰弱状態及び抑うつ状態」という全く学問的でない診断名を
平然とテレビの前で読み上げてしまう。

 これは、フツーの精神科医であれば、恥ずかしくてできないこと
ですから、今回の全国民的に注目を浴びている朝青龍問題にかかわる
「精神科医」として、全く不適当としかいいようがありません。

 さらに、この本田医師の診察には、マスコミではあまり問題にされていません
が、私は非常に大きな問題が存在していると思います。

 それは、本田医師の診察は、朝青龍関の主治医からの紹介で行われた
という点。
 つまり、本田医師は、朝青龍に近い関係者サイドの人間であった、
といことです。

 あるワイドショーでは、本田医師は朝青龍の知人だった、という
報道もありました。

 精神科の診察には、「客観性」が要求されます。

 内科でも外科でもそうですが、精神科の場合、内科や外科と違って
客観的な検査データというものがなく、「人対人」の診察によって
心の状態を観察していきます。

 精神科医の家族や友人が精神疾患にかかった場合は、
客観的な観察ができないため、正しい診断や正しい治療ができない、
というのは常識です。

 したがって、「精神的に不調である」ということを診断してもらうのには、
親しい関係者、あるいは知人の精神科医に診断してもらうことは、
はなはだ不適切である、と言えます。

 その診断は、全く客観性がなく、全く信頼できないわけです。

 本田医師は、「本人が望む最良の環境で休養するのが一番」とコメントして
いますが、このアドバイスもまた相当に不適切だと思います。

 例えば、精神疾患が重篤になれば、入院治療が必要です。
 今回も、報道から判断すると、朝青龍関の状態は軽症ではなさそうだという
ことですから、場合によっては精神科への入院治療というも選択肢も
ありえるでしょう。

 一方で、ほとんどの患者さんは、精神科になんか入院したくありません。

 つまり、場合によっては入院も考慮される精神状態がよくない患者さんに
対して、「本人が望む最良の環境で休養するのが一番」なとどいうアドハイス
は、全くナンセンスなコメントだと思います。
 
 「精神状態のいかんによっては、本人が望まない環境(入院)で休養する
こともてでくる」
 これは、フツーの精神科医にとっては、常識的な知識だと思います。
 
 その常識を無視して、本田医師は「本人が望む最良の環境で休養する
のが一番」というアドバイスをした。
 さの理由は、それは朝青龍関の「モンゴル帰国」を擁護するため。
 
 医学的な常識を無視して、朝青龍関に有利な発言をした、ということです。


 これが、「茶番」でなくて何でしょうか?

 「茶番」でないのなら、「ヤラセ」です。


 今回の、朝青龍問題は、

 外国人力士の問題。文化格差の問題。

 あるいは、相撲協会との問題。
 親方と弟子の関係がうまくいっていなかった、といった指摘もあります。

 しかし、私は全くそうは思いません。
 少なくとも、精神科医である私には、そうは見えません。
 
 一言でいえば、「診断偽装」問題です。

 最初の「疲労骨折」で療養が必要であるという診断書。
 まず、これが第一の偽装です。

 朝青龍関に軽度の「圧迫骨折」はあったのかもしれませんが、
日本に帰国後の別な整形外科医師による再診察では、入院の必要は全くないし、
最初ほど重症な診断はされていません。

 つまり、最初の診断書は実際の症状よりも重症な診断書を書いて
もらった、という「偽装診断書」と考えられます。

 なぜ、わざわざ「偽装診断書」を書いてもらったのか、その理由は、
夏りの地方巡業に参加したくなかったからでしょう。

 結局、「診断偽装」を行い、マスコミから強烈なバッシングを受けた
にもかかわらず、次に朝青龍サイドが行ったのは、なんと
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・
二度目の「診断偽装」です。

 十分な経験を持ってるとは言えない知り合い筋の精神科医に診察してもらい、
自分に有利なコメントをしてもらう。

 どうみても、「診断偽装」です。

 客観性は皆無ですし、本田医師の診察結果は精神科医であれば
誰でも首をかしげたくなるような「ヤラセ」診断だった。

 最初のサッカーの問題だけであれば、「しょうがいない」とか、
「かわいそう」という同情論も出るのも理解できます。

 しかし、一度ならず、二度も「診断偽装」を繰り返しているわけで、
これはどう見ても確信犯です。

 そこに同情の余地は全くないと思います。


 なぜ同じことをするかというと、
「とりあえず、テキトーな診断書を出しておけば休める」という
甘い考えに全く変わりがないからでしょう。

 結局、反省しているような伝聞のコメントもありましたが、
そんものはどうみても嘘で、偽装の診断書を出したことに関しては、
何の反省もありません。


 私が、この問題にここまで激怒しているのには、大きな理由があります。

 後日の相撲協会サイドの別な精神科医の診察では、「急性ストレス障害」
という診断がなされています。
 
 こちらは、第3者の精神科医による客観性がある診察ですから、
朝青龍関が精神的に不安定な状態にある可能性は高いと思います。

 しかしながら、「また仮病を使っているんじゃないか?」とか
「精神病を隠れ蓑に使って、騒動を逃れようとしているにちがいない」とか
「精神疾患を利用して、モンゴルへの帰国を正当化しようとしている」
と思っている人がたくさんいるでしょう。


 それも、当然でしょう。


 彼の状態が今どうであるかは別にして、身内の医師に診察に頼み
自分に有利なコメントしてもらったということで、

「精神疾患を隠れ蓑として利用しようとした」

ことは事実なのですから。

 
 私は、一言、言いたい。
 
 精神疾患を隠れ蓑にすることはやめていただきたい。


 全国に100万人以上いる精神科患者への冒涜です。

 診断書を提出して仕事を休んで、自宅療養している精神科患者さんは、
今現在、日本中に何十万人はいるでしょう。

 そうした精神疾患をかかえ苦しんでいる人は、今回の騒動を
どう見ているんでしょうか。

 精神科の診断書を会社に出すだけで、
「おまえは怠けているだけだ!!」と怒鳴られたという話はよく聞きます。

 「精神障害者=怠け者」という偏見が、日本に根強く存在しているのです。

 多くの人が持っている誤ったイメージ。

 しかし、その誤ったイメージのせいで、精神障害者の人たち、
精神疾患をかかえている人たちは、多大な苦痛を感じています。

 「うつ病」の診断書を会社に出しただけで、「怠け者!!」と言われて
会社をクビになった患者さんが、本当にいるのです。

 また、休職して自宅で療養していても非常に後ろめたいですし、
そんな後ろめたい気持ちで療養していても、ちっとも療養になりません。

 拙著「自殺という病」 http://egoods.holy.jp/c/yamai.html

でも指摘しましたが、日本が先進国で自殺率が最も高い理由は、
日本が先進国で最も精神科に対する偏見が強い国であることと、
関係があるでしょう。

 今回の朝青龍問題を通して、
「精神的な不調で苦しんでいる人は、本当にたいへんなんだなあ」と
思う人はほとんどいないでしょう。


「精神障害者って、やっぱり怠けているだけなんじゃないのか?」

「朝青龍みたいに、精神科の診断書をもらって怠けて休んでいる奴が
他にもたくさんいるんじゃないか?」

と精神科に対する偏見が強まりはしないかと、私はたいへん危惧しています。


 朝青龍関が現在、「急性ストレス障害」で苦しんでいるとしたならば、
それは大変気の毒なことです。
 
 しかし、本田医師の診察問題、すなわち身内の医師に診察してもらって
「自分に有利な診断書と有利なコメント」を引き出したことは事実であり、
「精神疾患を隠れ蓑として利用しようとした」ことに関して、
私は許すことはできません。

 現在の「急性ストレス障害」が仮病でないことを、心から願います。

 この記事は、メルマガ「映画の精神医学」8月15日号で配信したものです。精神科医樺沢紫苑(佐々木信幸)の発行する同メルマガでは、社会問題に関しての精神医学的なコメントなどを掲載していますので、興味のある方は是非お読みください。

メルマガ「映画の精神医学」を購読する


魔笛〜オリジナルの解釈がわかりやすい

7578717e.JPG 水曜日の午後3時。

 平日の昼間に映画を見ている暇人(ひまじん)などほとんど
いないだろう・・・と思って劇場を訪れだが、考えが甘かった。

 上映開始時間には、前3列を除いて、席がビッシリと埋まっていた。

 ほぼ満席状態。

 先週、映画「魔笛」を見に行った時の出来事だ。
 

 「魔笛」は、モーツァルトのオペラの映画化。
 シェークスピア作品の映画化で定評のあるケネス・ブラナーの監督。


 オペラの映画版ということで、場内は、50代、
60代の品のよい高齢の夫婦で埋め尽くされていた。

 おそらくは、オペラを日常的に見ているオペラ・ファンと思われる。

 ほとんどのサラリーマンは、額に汗して働いている間、こうして
のんびりのと映画を見ている人たちが存在する。
 
 こんな世界もあるのか・・・と、新しい発見をした。


 映画が始まり、度肝を抜かされた。
 
 オーケストラさながらの臨場感のある音楽に合わせ、俯瞰カットの
流れるような美しい映像の長回し。

 その壮大な映像と勇ましい音楽の見事なハーモニーに、思わず涙が流れる。

 ストーリーはまだ全くはじまっていないのだけども、純粋に、
音楽と映像だけで生み出されたピュアな感動である。
 
 「美しい」といっても、場面は第一次大戦の最前線の塹壕である。

 オペラ版「魔笛」とは全く異なり、現代を舞台にしているということに
驚かされるが、不思議と違和感がない。

 音楽は完全に「魔笛」である。
 音楽のマジカルなパワーで、この現代的映像が、「魔笛」的世界へと
転生している。
 
 映画「魔笛」では、オペラとは違って、このように大胆な設定変更と
大胆な解釈が入っている。
 
 オペラというのは、まず「音楽」で表現するのが前提であるから、
「歌詞」で補足的に説明するにしても、非常に多義的であり、
抽象的、象徴的になりやすい。
 
 それを自分なりに理解していく深いレベルの面白さがオペラにはあるが、
オペラを見慣れない人にとっては「よくわからない」の一言で片づけられて
しまうかもしれない。
 
 この映画版の「魔笛」は、明確な「映像」が割り振られているので、
つまりイメージが具体的で明確に提示されている、という点でオペラ版より
明快でわかりやすい印象を持った。
 
 一方、バリバリのオペラ・ファンにとっては、「やっぱりオペラとは違う」
という違和感を感じるかもしれないが、その辺は割り切って楽しんで
いただきたい。

 作品を最後まで見て思ったのは、昔の「オペラ」というのは、
今の「映画」のようなものではなかったか・・・と。
 
 時代を超越した場面設定や大胆な場面展開。
 豪華な舞台装置や衣装は、今でいうところの特殊効果である。
 
 「オペラ」と「映画」というのは、全く別次元の存在に思っていたが、
映像と言葉と音楽で表現する総合芸術であるという点で、そう大きな
違いはないのだなあ・・・と映画版「魔笛」を見て、つくづく思った。


 映画版はオペラ版と比べて「わかりやすい」とはいえ、全くの予備知識なし
で見ると、ちょっとつらい部分もあるだろう。
 
 オペラ「魔笛」の解説などを少し読んでから行った方が、
より深く楽しめるに違いない。

 樺沢の評価  ★★★★


「レミーのおいしいレストラン」〜一流レストランの厨房をのぞき見する楽しみ

519c6499.jpg アメリカのシカゴを代表するレストランが何軒かある。 
 その中の一軒が「チャーリーズ・トロッターズ」という
フレンチ・レストランだ。
 
 昨年の12月、妻の誕生日ということで、大枚をはたいて行ってみた。

 肉はほとんど使わず、ヘルシーな食材をヘルシーな味付けで仕上げるという
ユニークな店である。
 
「チャーリーズ・トロッターズ」の一皿



 いや、日本ではこうしたヘルシー系のフレンチというのは時々見かけるが、
肉大好きに人間が国民の大部分を占めるアメリカにおいては、まだまだ
珍しく、またそれゆえにヘルシー指向の強い人たちに支持されている。


 「チャーリーズ・トロッターズ」は、民家を改築して作られたレストランで
席数は、40席ほど。
 アメリカのレストランとしては、非常にこじんまりとした店といえる。

 さて、コース料理が終了し、コーヒーを飲み終えた後、ウェイターが言う。

 「厨房をごらんになりますか?」
 
 「えっ、厨房を見せてもらえる?」

 一流レストランの厨房など、普通の人は絶対に入れない「禁断の場所」。
 そこに入ることが許されるとは、なんと素晴らしいことであろうか。


 実は、「チャーリーズ・トロッターズ」では、希望する客には厨房に
案内して、中を見せてくれるサービスをしている。
 
 非常に粋なサービスではないか。

 私もレストランは、かなり訪れているはずだが、普通の客として
厨房を見せてもらったのは、初めての体験だ。

 そして、はじめて見る厨房の中は・・・ 人が多い。

「チャーリーズ・トロッターズ」厨房の写真







 厨房には15名くらいの料理人が、ところ狭しと働いていた。

 席数40席ほどの小さな店に、これほどたくさんの料理人が働いていた
ことに驚かされる。
 客2〜3人つき、料理人が一人いて料理を作っていることになる。

 実際は、一人一人の仕事が厳密に決まっていて、流れ作業のように
料理を作っていた。

 そして、整理整頓され、ホコリひとつ落ちていない、その厨房の美しさにも
驚かされた。

 おっと、映画の話から完全にズレてしまった。

 有名レストランの厨房を一度でいいからのぞいてみたい。

 これは、グルメにとって、ささやかな夢というか、おおいなる
願望であるに違いない。
 そんなささやか夢をかなえてくれるのが、「レミーのおいしいレストラン」
である。
 
 かってパリを代表するレストランであった「グストー」。 
 そこで繰り広げられる、見習いシェフ、リングイニと「シェフになりたい」
というネズミのレミーの奇妙な物語。

 普段は決して見ることができない、一流レストランの厨房を見ることが
できる。

 これだけで、私のような食いしん坊には、お腹がいっぱいになる映画と
言える。
 
 「誰でも料理はできる」というグストーのスローガンは、「努力すれば、
誰だって、どんなことでもできる」というテーマに昇華される。

 そして、ラストシーンは、涙なくしては見られない。


 ということで、私としては、最高に楽しめた作品であることは間違いないが、
ちょっと思ったのは、「これって、子供が見ておもしろいのか?」ということだ。

 「レミーのおいしいレストラン」は、「モンターズ・インク」「Mr.インク
レディブル」「カーズ」など大ヒット作を次々と作り続ける「ピクサー」の製
作。
 
 子供のためのアニメを作り続けているわけだが、この「レミー」に関しては、
ちょっと大人向きアニメという印象である。
 いや、子供も楽しめるに違いないとは思うが、大人の方がより楽しめるので
はないか・・・という気がする。

 ということで、私のような食いしん坊の大人とか、カップルで見に行くと
ちょっと素敵な体験をできるのではないだろうか。

 
 あと、映画を観る前に一つだけ知っておいてほしいことがある。

  「レミーのおいしいレストラン」この映画の原題が、
「Ratatouille (ラタトゥーユ)」ということである。
 ラタトゥーユとは、茄子や玉ねぎ、ズッキーニなど、色々な野菜を
オリーブオイルでさっと炒め、トマトで煮込んだ南フランスの伝統的な
家庭料理である。

 「Ratatouille」が、「Rat」(ネズミ)を文字っているのはすぐにわかるが、
それだけではない。このタイトルが、映画のラストに向けての重要な伏線と
なっているので覚えておこう。 

 樺沢の評価  ★★★★



フレンチレストランの厨房拝見

フレンチ・レストラン「チャーリーズ・トロッターズ」の厨房








フレンチレストラン「チャーリーズ・トロッターズ」の一皿

シカゴを代表するフレンチレストラン「チャーリーズ・トロッターズ」





 肉はほとんど使わず、オーガニック食材を多用し、ヘルシーな食材をヘルシーな味付けで仕上げるのが特徴。

毎年3万人以上が自殺で死んでいます それを防ぐことができるのは→→→→あなたです!!


7b9ce0cd.jpg

「自殺という病」の最初の部分を立ち読みする!!
  「自殺という病」ダイジェスト版を今すぐダウンロード


日本では毎年3万人以上が
自殺で亡くなっています。



 これは実に交通事故の4倍以上に及ぶ数字です。


「自殺」というと自分には無関係。
人ごとのような感じがしますが、私たちの家族や友人や職場の仲間など、
身近な人たちにいつおとずれてもおかしくありません。

 しかし、「自殺」は予防できます。

 「自殺」についての知識を身に付けることによって、「自殺」の徴候を早期発見し
大事に至る前に防ぐことができます。

 膨大な数の自殺。
 
 それを減らすためには、私たちの周囲で起きる「自殺」を一つでも
食い止めることです。
 
 自殺は、あなたとは無関係ではありません。

 

自殺を食い止める主人公はあなたです。



 私、精神科医の佐々木信幸(樺沢紫苑)が、精神医学とは縁のない方でも、
自殺についての理解を深め、自殺の徴候をとらえて適切に対処する方法を
わかりやすくまとめました。


7b9ce0cd.jpg

 それが、この
「自殺という病
毎年3万人の自殺者を減らすためにあなたができること」

(秀和システム刊、1575円) です。

 この本を一人でも多くの人に読んでいただき、日本の自殺者が
一人でも減ることを、切望します。






●「自殺という病」に興味のある方は・・・

 「自殺という病」の最初の19ページをPDFファイルにまとめました。
  直接ダウンロードできますので、今すぐお読み下さい。
  「自殺という病」の最初の19ページを読んでみる

●「自殺という病」を今すぐ読んでみたい方は・・・




●「自殺」の問題に全く興味のない方は・・・
 
 「自殺という病」を購入する必要はありません。
 この最初の19ページだけをお読みください。
 完全に無料です。
「自殺という病」の最初の19ページを完全に無料で読んでみる

(注)上記のリンクをクリックしてもうまくダウンロードされない場合は、
Adobe Reader が最新版ではありません。
 こちらのサイトから、最新版にアップグレードすると、きちんと
ダウンロード、表示されます。

いじめ自殺を防ぐ

新サイトを立ち上げました。

「いじめ自殺を防ぐ」



いじめ自殺に関するニュース、最新情報1。
これらいじめ自殺関連のニュースに対する私のコメントや提言などをのせた、かなりマジなサイトです、

興味のある方は、是非ご覧ください。

「いじめ自殺を防ぐ」
http://www.ijime.bizshin.com/


ザ・ホリデイ Tne Holiday 〜「失恋も悪くない」と思わせる傑作ラブコメ

4e761b71.jpg 20回笑い、10回泣いて、3回感動した。

 ここ数年で見たラブコメディの中で、最も心に残る作品。

 というか、ラブコメ史上に残る傑作ではなかろうか。
 
 心温まるストーリーとちょっとしたサプライズ。
 生き生きと演技する俳優陣。
 演出、脚本、音楽、撮影、その全てが素晴らしい。

 ハリウッドで映画予告編のプロデュースをするアマンダ
(キャメロン・ディアス)。

 ロンドンに近い田舎街に住み新聞記者として働くアイリス
(ケイト・ウィンスレット)。

 この二人の女性が、クリスマス直前に失恋!!
 
 どこか遠くに行って心の傷を癒したい。

 同じことを考えた二人が、クリスマス休暇をお互いの家を交換して
すごすことに・・・。

 そこに、二人の男性。
 アマンダには、グラハム(ジュード・ロー)。
 アイリスには、マイルズ(ジャック・ブラック)が現われる。
 
 彼女と彼ら4人の恋の行方は・・・。

 そして、彼らは幸せにクリスマスとニューイヤーを迎えることが
できるのか?
 
 あらすじだけ読むとありがちな話。

 しかし、何が違うのかというと、演出が違うのだろう。

 映画のほとんどは、彼ら4人の主人公の表情をアップでとらえる。
 最近の映画で、これだけアップが多い映画は珍しい。

 つまれ、俳優たちの演技をじっくりと見せる。

 ガチンコの演技勝負というか、俳優たちの魅力と演技を、これでもかという
くらい見せ付けてくる。

 そして、演技陣の演技が素晴らしい。
 
 キャメロン・ディアス、ケイト・ウィンスレット、ジュード・ロー、ジャッ
ク・ブラックとチョー個性的な4人が、それぞれに個性的な演技を見せてくれ
るが、一人一人が実に魅力的なキャラクターとして我々の心に迫ってくる。

 キャメロン・ディアスとケイト・ウィンスレットが、とても魅力的なのは
言うまでもないが、個人的にはジャック・ブラックが良かった。

「ナチョ・リブレ 覆面の神様」で際物コメディアンの印象を強めたジャッ
ク・ブラックだが、正統派の演技もできると証明した。
 
 映画ファンにはうれししい、「ザ・ホリデイ」のもう一つ魅力。
 これは、映画のネタが盛り込まれていることだ。 

 アマンダが住むのはハリウッドのビバリーヒルズである。
 隣家に住む老人、昔オスカー受賞をしたライターと、アイリスとの交流が
感動的だ。

 他にも映画ネタが満載。
 映画ファンであれば、ニヤリと笑わざるを得ない。
 
 監督のナンシー・マイヤーズは、「恋愛適齢期」(2003年)の監督、脚本で
知られる。脚本家としてのキャリアは古く、「プライベート・ベンジャミン」
「赤ちゃんはトップレディがお好き」「花嫁のパパ」といった八十年代の懐か
しいコメディ映画は、彼女の脚本である。

 「ザ・ホリデイ」では、ナンシー・マイヤーズは、監督、脚本、プロデュー
サーと三役をこなしている。

 この彼女の繊細な脚本と演出に、「ユー・ガット・メール」(監督、脚本)や
「恋人たちの予感」(脚本)の ノーラ・エフロン以来の鬼才ラブコメ監督の
誕生を感じた。

 今後が楽しみな監督である。

 クリスマス前のホリデイ・シーズンに見る映画としてこれ以上の作品はない
という感じ。

 日本公開は、2007年3月と春休み映画なので、その点はちょっと残念だ。
 

 失恋があって、新たな恋がはじまる。
 
 クリスマス前に、もしあなたが失恋してしまっても、「失恋も悪くない」と
勇気を与えてくれる作品である。


お薦めする人
・ラブ・コメディが好きな人全員
・失恋して落ち込んでいる人

見ない方がいい人
・失恋には縁のない人

樺沢の評価   ★★★★★  (満点は5★。 ☆は1/2) 

12月8日アメリカ公開 日本公開2007年3月 

英語オフィシャル・サイト


サンタが突然現われたら・・・

 もし電車を待っているとき、突然サンタをのせた電車が現われたら
どうしますか?

 そんな話、絶対ありえないと思うでしょう?

 もしあったとしたら、ドッキリカメラとか。

 でも、シカゴでは本当にあるのです。

 コチラをご覧ください。


 
 サンタを載せて、電飾ハデハデの「サンタ・トレイン」が、
今シカゴの街を走っています。

 一応、運行スケジュールというのは発表されていますが、ほとんどの人は、
「サンタ・トレイン」の存在自体を知りません。

 普通に電車を待っていたら、突然、サンタクロースをのせた電車が現われる
のですから、ビックリします。



 この電車に乗って、そうした驚く人々の様子を観察しましたが、とてもおも
ろしかったです。

 まず最初は、「なんだこれは!!」という驚きの表情を浮かべます。

 次に、「あっ、サンタクロースをのせた電車か・・・」と理解し、満面の
笑み変わります。

 そして、「あっ、写真をとらなくちゃ」と、カバンからデジカメを出して、
あわててパチリと写真を撮ります。

 特に、子供たちの反応は生き生きとしたものです。

 「あっ、サンタだ!! サンタだ!!」と大喜びです。

 やっぱり、サンタクロースの持つ魅力というか、知名度というか、存在感は
凄いなあ、と改めて感じさせられます。

 
 電車の中は、赤と緑の電飾が光り、シートもサンタのデザイン。





 そして、中刷り広告まで「ノースポール・バーバー(北極理容室)」とか、
北極、サンタ、エルフなどをあしらった架空のオリジナル広告が貼られ
ています。

 クリスマスソングが絶えず流され、そして乗車するときはアメのサービスま
でありますから、子供たちは大喜びです。
 
 いえ、子供のみならず、大人も大喜びです。

 この電車は各駅停車で、普通の電車のようにお客さんを載せて運行します。
 
 そして、終点につきました。

 この電車の欠点は、乗車してしまうと、せっかくの外側の電車の装飾や
サンタが電車の中から見えなくなってしまうことです。

 しかし終点につくと、サンタとも写真がとれますし、電車の外観も
ゆっくりと見ることができました。

 そして、お客さんとサンタとの撮影会がはじまりました。
 
 サンタとの2ショット撮影ができるのですが、ポラロイド写真で撮ってくれて、
なんと無料です。

 さて、さらに凄いことがあります。

 それは、このサンタのおじさんです。

 このサンタのおじさん、電車運行中は、オープンエアーのサンタ列車の
ソリのところに座って、市民に笑顔を振りまいています。



 そして、駅と駅の間も、オープンエアーのサンタ列車に座っているのです。

 このサンタ列車は、完全に外気にさらされています。

 マイナス5度とか、日によってはマイナス10度を下回る今の時期のシカゴ
で、時速40〜50キロで走るオープンエアーの列車にずっと座っているとは、
どれほど大変なことでしょう。

 こんな大変な仕事を引き受けている、サンタのおじさんを心から尊敬します。


 これが、シカゴの市営の電車会社CTAの主催です。
 
 この電車の改装費だけでも1000万円以上はかかっているでしょう。
 
 シカゴ市民の心をなごませる、粋なサービスです。
 
 
 こんなふうに、今のアメリカは、街中がクリスマスツリーやクリスマスの装
飾で彩られ、実に賑わいを見せています。


ニューヨークでウディ・アレンの演奏を聞いてきた

b0fb4630.jpg ウディ・アレンの演奏を聞き逃した話は、9月11日、18日号の
「映画の精神医学」でお伝えしました。
 
 さて、このリベンジを果たすべく、今回は用意周到に2ヶ月前から予約を
入れ、11月27日、ついに念願のウディ・アレンの演奏を聞くことが
できましたので、その様子をお伝えします。
 
 会場は、マリリン・モンローとケネディ大統領が逢引に使ったという
由緒あるホテル・カーライル。
 そのレストラン「カフェ・カーライル」です。
 
 予約時間丁度の19時半に到着。
 
 席に案内されますが、席の狭さにビックリ。
 普段はここまで狭くないとのことですが、この日は詰められるだけ詰める
という感じで、隣のテーブルとの隙間が15センチもなく、通路に出るのに
テープルをずらさないと出られないほどです。
 
 この「カフェ・カーライル」という店はそれほど広くなく、これだけ詰めて
キャパシティは100人以下でしょう。
 
 つまり、ウディ・アレンを近くで見られるという意味では、悪くは
ありません。
 
 ディナーを食べながらウディ・アレンの登場を待ちますが、ディナーに関し
ては値段は一流ホテルでありながら、味は三流という感じで少し
ガッカリです。

 まあそれはいいとして、20時45分。演奏開始の時間が近づきます。
 
 他のメンバーたちはすでにスタンバイ状態。
 ウディ・アレンが登場し、ステージ上の席に座ります。
 
 しかし、その姿は明らかに異常です。

 非常に狭い会場で100人ほどの満員の観客。

 しかし、ウディ・アレンは観客の方を一瞥することもなく、目を閉じて
すぐにうつむいてしまいました。
 
 自分のクラリネットを準備した後は、クラリネットを祈るような格好で
両手で抱えて下を向いて、目をつぶってじっとしています。
 
 自閉症の子供をステージに連れてきたようなもので、精神科医でない普通の
人が見ても、彼がかなり異常な状態であることは明白です。

 以前も書きましたように、ウディ・アレンは何十年もの間、強迫性障害に
悩まされているわけですが、その病状はちっともよくなっていない。
 
 むしろ、かなり悪い状態であるということは、一目瞭然です。

 アメリカでジャズやブルースのコンサートを聞きに行っても、時間通りに
はじまるということはまずありません。
 
 10分か15分。場合によっては、30分も遅れてはじまるというのはよくあるこ
とです。
 
 しかし、このウディメアレンのコンサートでは、演奏開始の数分前には
すでに着席してスタンバイ状態。
 ほとんど定刻通りに、演奏は開始されました。
 
 この辺の「時間に几帳面」というのも、強迫性障害の症状と見るべき
でしょう。

 待望のウディ・アレンのクラリネット、最初の一吹き。
 
 会場の聴衆が、期待とともに、一斉に集中します。
 
 しかし、ウディ・アレンのクラリネットは、大きく音をはずします。
 
 「オー・マイ・ゴッド」、近くにいた男性がつぶやきました。
 
 私は最初、ウケ狙いでわざと音をはずしたのかと思いましたが、そうではな
いようです。
 
 正直、中学生の演奏を聞いてるようなタドダトしさ。
 
 アレンの緊張感も相当に高まっているのも、その音を聞いていればわかり
ます。
 
 演奏が進むにつれて、アレンの緊張も解けて、音はだんだんとプロフェッシ
ョナルな領域に近づいていきます。
 
 ウディ・アレンのクラリネット技術はかなりのレベルであるということを
聞いていましたが、それは「病気がひどくない状態でのベスト・パフォーマ
ンスにおいて」という但し書きのもとでの話でしょう。

 ウディ・アレンのこの緊張感を見ますと、正直、入院していてもおかしくな
いレベルであって、日常生活にもかなり支障をきたしているだろうことも容易
に推測がつきます。

 さて、こんなにひどい状態のウディ・アレン。

 対人恐怖、視線恐怖もあるのに、なぜわざわざステージに上がって、
人々の注視にさらされることをするのか?

 多くの読者の方は、疑問に思うでしょう。
 
 一つは、強迫性障害の症状として、「毎日、毎週の決まった予定を変えられ
ない」ということがあります。
 
 例えば、アレンは、20年間、毎日同じ朝食のメニューを食べ続けている、
と告白していますが、「それも予定を変えられない」という症状の現われです。
 
 毎週月曜日はクラリネットの演奏をする。

 ステージの都合や映画の撮影で、厳密にはしていないときもありますが、
特に予定のない時は「毎週月曜日はクラリネットの演奏をする」というのは、
30年以上も続けてきた彼の習慣です。

 だから病状が良いとか悪いとかは、関係がありません。
 
 むしろ病状が悪いほどに予定は変えられなくなりますから、「ステージに
上がる方が安心できる」というのが強迫性障害の心理でしょう。

 彼はクラリネットの演奏が自分の病気にとって最大の癒しである、
とったことを語っています。
 
 対人恐怖、視線恐怖のある神経症の人は、人と会いたくありません。
 
 できれば家に引きこもっていたい。
 
 しかし、それが「本意」なのかという、そうではないはずです。
 
 「アヴィエイター」でディカプリオが演じたハワード・ヒューズを思い出し
てください。
 
 彼は強迫性障害の悪化によって、試写室に引きこもり、誰とも会わない生活
を続けます。
 
 しかし、本当は外に出たかったはずです。
 外に出たいのだけで、病気のせいで外に出られないという。
 
 外に出たい自分(健全な自分)と外に出たくない自分(病気の自分)との葛藤
です。

 ハワード・ヒューズは、病気の自分の方が強いので引きこもり生活になって
しまいました。
 
 私の強迫性障害のある患者さんは言いました。

「外には出たくないけど、このまま家に引きこもってしまうのも不安です。
 廃人になってしまうというか、二度と社会復帰できなくなるのではないかと、
心配になります」

 家に引きこもっていれば精神的には楽ですが、引きこもり自体に大きな不安
感がともなうわけです。

 さて、ウディ・アレンはどうでしょうか。

 彼は何回か音をはずしていましたが、じつはリズムに遅れることは1回もな
かったのには驚かされました。
 
 自分のパートの入りのタイミングが遅れるということもなく、他のメンバー
たちと息の合ったコンビネーションを見せていました。
 
 つまり、完全に「協調」していたということです。

 ジャズ音楽というのは、一人ではできません。
 
 コラボレーション。協調性というのが重要です。
 
 メンバーとの協調があって、さらに観客との協調。
 
 会場全体が一体となったときに、大きな盛り上がりを見せるのです。

 
「協調」という意味では、ウディ・アレンの演奏は、実に優れたものに感じ
ました。
 
 メンバーとの息もピッタリで、後半になるとウディ・アレンも調子付いてき
て、良い音を出して、観客も大いに盛り上がっていました。
 
 普通のジャズ・コンサートと全く変わらないわけです。
 
 ウディ・アレンは、観客に向けて一言も言葉を発しませんでした。
 普通は無口なアーティストでも「Thank you!」くらいは言います。
 
 さらに、客の方を見ることも一度もなかった。

 しかし言葉を交わしたり、アイコンタクトするだけが、コミュニケーション
ではありません。
 
 コミュニケーションには、いろんな形態があります。
 
 音楽というのも、大切なコミュニケーションの手段ではないかと思います。
 
 強迫性障害の患者さんは、人と会ったり、人と言葉を交わしたり、人と視線
を合わせるのが非常に苦手です。
 
 無理してやると、大きな苦痛を伴います。
 
 でも、強迫性障害の人ももコミュニケーションしたくないわけではありません。
 
 人と会ったり、話したり、視線を合わせたくないだけであって、「自分の気
持ちを多くの人に理解して欲しい」と思っているはずです。

 「恋愛小説家」の主人公ユドールもそうですし、「アヴィエイター」の
ハワード・ヒューズもそうでした。

 かなり重度の強迫性障害であるウディ・アレンが、ジャズのステージに立っ
たり、映画監督をしたりすることは普通の人から見ると全く矛盾した行為に
見えるでしょうが、ウディ・アレンにとっては大いなる癒しなのです。
 
 言葉を使わなく視線を合わせなくても、自分のクラリネットのメロディを通
して、観客と対話することが出来るから。
 
 直接に対面しなくても、映画であればスクリーンを通して、数百万人、数千
万人の人と対話ができます。

 そういうわけで、ウディ・アレンは自らの癒しのために音楽や映画といった
芸術活動をしていると言えるでしょう。

 ウディ・アレンの演奏が、一段落して。
 バンドのメンバーが退席しました。
 
 残ったのは、ハンド・マスターのバンジョーのおじさんとピアノの人。
 バンジョーのおじさんだけは、ステージの最中、アレンときさくに話をして
いました。

 その三人で、さらに何曲か演奏しました。
 
 さて、ウディ・アレンはクラリネットを袋にしまいはじめ、帰る用意をして
います。
 
 バンジョーのおじさんがアレンに何か話しかけて、演奏を開始しました。 
 
 クラリネットを既にしまったアレンは、何と伴奏にあわせて歌を歌い始
めました。
 
 これはかなり意外な展開です。
 
 観客に向けて一言も言葉を発していなかったアレンが、歌い始めたと
は・・・。

 彼の心も、ステージの最初の頃と比べると、かなり和らいでいたのでしょう。

 バンジョーのおじさんが、アレンに挨拶するように促がしていたようですが、
アレンは何もしゃべりません。

 バンジョーのおじさんは、「彼はシック・ボーイだから」と言いました。
 
 これには少しビックリしましたが、ウディ・アレンのファンやニューヨー
カーにとっては、彼が病気であることは周知の事実なわけですから、多くの観
客もそれを承知で彼の演奏を聞きに来ているのか・・・と再確認します。

 会場は満場の拍手に包まれましたが、アレンは笑顔一つ浮かべず、観客の方
を一瞥することもなく、うつむいたまま足早に退席していきました。

 しかしながら彼の心は、全ての観客の心と通じたことを私は確信しました。
 
 ありがとう、ウディ・アレン。
 
 私は、心の中でつぶやきました。



Youtube デスノート前編

youtubeデスノートYoutubeで「デスノート 前編」が見られます。

←Youtubeを見たい方は画像をクリック

2006年、126分
監督 金子修介
出演 藤原竜也 、松山ケンイチ 、瀬戸朝香 、香椎由宇 、細川茂樹 、戸田恵梨香

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